超大作。
ブログタイトルで大げさな単語を使うのは好きじゃないのですが、今回ばかりはご容赦ください。
小説・徳川家康。
作家・山岡荘八が17年の歳月をかけて著した、全26巻の歴史小説です。
原稿用紙1万7,400枚、文庫本にして26巻という、圧倒的な超長編小説です。
これを超大作と言わずして、なんと表現しましょうや。
「長いなぁ…」と思っていたら、それもそのはず。
なんと、ギネス世界記録に認定されているのですね。
日本一長い時代小説は、山岡荘八の『徳川家康』。ギネスブックでも「世界最長の小説」のひとつに認定されています。
世界一長い小説と日本一長い小説とは? – ブックオフオンラインコラム より引用
上記のとおり。
私は全26巻を、およそ1年2ヶ月かけて読破しました。
2020年5月末にスタートして、2021年8月上旬に読了。
単純計算すると、月1〜2冊のペースですね。
でも2020年の秋〜冬頃は、まったく読まなかった期間が数ヶ月ありました。
反対に2021年の春頃には、一ヶ月で一気に5〜6冊読みました。
ハマるとページをめくる手が止まらなくなる。
小説・徳川家康は、そんな魔力を持った作品です。
小説・徳川家康(山岡荘八)で歴史の奥深さにふれる

繰り返しになりますが、「徳川家康」は歴史小説です。
歴史小説の面白さを知らなかった私でも、楽しみながら最後まで読めました。
たとえば、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康。
この三英傑について、学校で習ったので存在は知っていました。
ただ、今回小説を読んだことで、同じ時代に生きていた事実を「理解」して、部屋の片隅で衝撃を受けました。
ちょっと考えれば当たり前の話なんですけどね。
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平安時代
鎌倉時代
室町時代
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学校で習ったこれらの時代を、「別個」の「独立したもの」と、私は捉えていたようです。
…分かりにくいですね。もう少し具体的に説明します。
歴史をデジタルに捉えていた
これまで私は、歴史の表面しか見ていませんでした。
1590年:豊臣秀吉による天下統一
1600年:関ヶ原の戦い(徳川家康 vs 石田三成)
たとえばですが、私は上記の出来事「だけ」を覚えていました。
出来事の起きた年と、その概要だけです。
「1590年に、豊臣秀吉が天下を統一したんだ」
「1600年に関ヶ原で、徳川家康と石田三成が戦ったんだな」
こんな感じ。
今回「小説・徳川家康」を読んでみて、初めて歴史のストーリー(≒連続性)を味わいました。
1590年〜1600年の「10年間」に、意識が向いたんです。
そっか。
豊臣秀吉の忠臣・石田三成と、秀吉の家臣じゃない徳川家康。
秀吉が亡くなったら、次の天下人の座を狙って、両者が衝突するのもムリはないよな。
そりゃあ治部少(=三成)からしたら、家康に敵意を持つわ。
こんな感じですね。
今までは ”ただの知識” でしかなかった「石田三成」や「徳川家康」が、私の中で ”歴史上たしかに存在した人物” として息づきました。
この小説に出会うまで、私の知っている「歴史」とは、離散的な、デジタルな、機械的に出来事を覚えただけの、薄っぺらいものだったのです。
本当にお恥ずかしい限りで…
つまり私は、歴史を ”考えていなかった” んですね。
子どもの頃に覚えた断片的な知識たちが、壮大な歴史のストーリーの中でリンクして、命を芽吹く。
小説・徳川家康は、大人になった私に、歴史の面白さ・奥深さを教えてくれました。
小説・徳川家康(山岡荘八)の楽しみ方

元々私は、徳川家康の御遺訓が好きでした。
徳川家康の遺訓とは、次の言葉のこと。
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↓
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人の一生は重荷を負ひて遠き
御遺訓 – 徳川家康公について – 久能山東照宮 より引用
道をゆくが如し いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望おこらば困窮したる
時を思ひ出いだすべし 堪忍は無事
長久の基 いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知しりてまくる事をしら
ざれば害其身みにいたる おのれ
を責めて人をせむるな 及ばざる
は過ぎたるよりまされり
上記のとおり。
家康さんの信条であり、私の ”座右の銘” です。
事あるごとに、この言葉を思い返して自戒しながら、生活してきました。
それで、ふと純粋な疑問として、

こんな考え方をする徳川家康って、どんな人だったんだろう?
そんな興味を抱くようになり、小説を読みはじめたのです。
はじめから遺訓を知っていたので、小説の中で遺訓に通ずる思想が出てくると、

あぁなるほど
家康さんはこのタイミングで、これを学んだんだなぁ
と、思いを馳せながら小説を楽しめました。
(もちろん、著者である山岡さんの筋書きだと理解した上で、ですけどね。笑)
読む前に御遺訓を知っておくと、家康さんの成長の過程が感じられるので面白いですよ。
反対に、知らないまま、まっさらな状態で読むのも新鮮で楽しいでしょうね。
長編だからこその楽しみ
1年以上にわたって1作の小説を読み続けたのは、生まれてはじめての経験です。
今回は読書体験そのものに、思い出ができました。
たとえば、海沿いの公園に本を持っていった時。
時間の経過とともにズレていく棕櫚の木陰に合わせ、環状ベンチを座りなおしながら、黙々と読みふけりました。
たとえば、自宅の庭で読んだ時。
キャンプ用の折りたたみ椅子に座って、蚊に刺されながら読み進めるも、モスキートの羽音と痒さで集中できませんでした。
布団に寝転びながら。
ソファであぐらをかきながら。
バランスボールに無理やり寄りかかり、腰を痛めながら。
色んな場所で、色んな姿勢で、読んだ体験そのものに思い出ができたのは、「長編小説ならでは」だなぁと思います。
徳川家康(山岡荘八)、全26巻も読み切れるのか?

「26巻とか無謀かな…」と不安でしたが、想像以上にスルスル読めました。
とにかく文章力が凄まじいんです。
会話文が多かったので、そのおかげでテンポよく先に進めたのかもしれません。
「歴史小説」のくくりで振り返ると、中学生の頃、朝読書の時間に津本陽「下天は夢か」に挑戦しました。
織田信長を描いた作品ですね。
結局「下天は夢か」は、最後まで読み切れなくて断念。
なんとなくその後も、歴史物の本に、苦手意識を持っていました。
今回「徳川家康」で、十数年ぶりに歴史小説に再チャレンジ。
「ござる」調の言葉遣いにもすぐに慣れて、無事に最後まで読めました。
十数年の時を経て、私は ”いい加減” な人間になりました。
知らない人物などが登場しても、適当にどんどん先に読み進めたら、苦もなく最後までたどり着きました。次に読む時は、もう少し教養を身につけていたいものです。笑
一度本を開いたら、そうカンタンに本を閉じられません。
先が気になって、スルスル読めるから先に進んでしまって…。
「もう眠らせてくれ…」と思いながらページをめくり続けたのも、初めての経験です。笑
歴史小説に慣れていない人でも、「徳川家康」は気軽に読める文章だと思います。

自分も読破してみたいなぁ…
こう思った人は、まずは全巻そろえましょう。
ネット通販で一冊ずつ購入もできますが、そのうち購入作業が面倒くさくなると思います。
それで挫折するのは、もったいないですよね。
読みはじめたら結局ハマりますので、安心して全巻そろえてください。
読破のコツ
最後に一つだけ。
僭越ながら、文庫本の26巻を読破するコツをアドバイスさせていただきます。m(_ _)m
読みたい本(巻)を一冊だけ、手元に置いてみてください。
26巻すべてが本棚に並んでいる状態を見ると、

こんなにあるのか…
全部なんて絶対読めない…
このように、分量に圧倒されてしまいます。
けれど、一冊だけが目に入る環境を作れば、その一冊に集中できます。
すると、一冊ずつ読み進めるうちに、

お、いつの間にか10巻まで進んでた…!
こうなります。
本棚に全26巻を並べるのは構いません。
その中から読みたい巻を、一冊だけ取り出してください。
取り出した一冊だけを、別のミニ本棚などに置いておく、といったイメージですね。
目の前の「今」に集中して、最後まで挫折せずに読破するための、脳の活用テクニックです。
よかったらお試しください。けっこう効果ありましたよ!
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文体に慣れるまでは、読むのがしんどいかもしれません。
しかし慣れてしまえば、読まない方がしんどくなります。
日本が誇る文学作品で、あなたも江戸の風を感じてみませんか?
2021年8月に「徳川家康」を読破してから、長編小説に挑みたい欲求が続いています。
2022年5月までの間に、トルストイ「アンナ・カレーニナ」 や カフカ「城」
も読みました。
カフカの「城」は6〜7年積んでいた本だったので、ようやく読み終えることができて感無量です。
避けていた長編小説を楽しめるのも、「徳川家康」を読み切った体験のおかげかなと思っています。